1987年3月、大学を卒業し、4月からは勤務先まで車で通勤する必要があることから、初めて自分用の自動車を手に入れることができました。車種は日産パルサー3ドアハッチバック(型式EN13)です。 ミラノX1ツインカムという名称で呼ばれていました。当時このクラスの流行の最先端であった1600ccツインカム16バルブエンジン搭載車から選んだ1台です。
その当時を振り返ってみると、ワンダーシビックにしようかそれともカローラFXにしようか迷っていました。自動車雑誌なども何冊も買って研究していましたが、ふとパルサーの記事と写真が目に入って、「これもいいかな?」と思い始めたのが運の尽きでした。当時は角張ったデザインがはやっていたのですが、シビックやカローラFXと比べてパルサーは少し丸みを帯びたデザインで、なんとなく「固まり感、筋肉感」のようなものを感じて気に入ってしまったからです。案の定、その後国産車のデザインはどんどん丸くなり、約5年経過して手放す頃になるとこのパルサーも直線的なパキパキデザインに見えるようになってしまいました。人間の感覚って不思議なものですね。
ちなみに、車を検討していてディーラー回りをしていた時に、たまたま入ったトヨタオートのお店でこちらが何も希望車種などを告げていないのに「おまえら若造はこの車がお似合いだ!」みたいな感じで店長さんがサラサラとターセルGPターボの見積もりを書き上げて(カタログはくれず)名刺とともに渡してくれてからは、そのスマートすぎる接客態度とターセルGPターボのカッコ悪さがなんか小馬鹿にされたような感じがしてそれからしばらくはアンチトヨタになりました。(今はそんなことないです。)
初めての自分専用の車だけあって、単に通勤に使うだけでなく、わざわざ遠回りして帰ったり休みのたびにどこか出かけたり、それこそ馬鹿みたいに乗りまわしました。ウィンドサーフィンをはじめてからは、毎週末になるとこの車にルーフキャリアをつけてボードとマストをのせて、海や湖(琵琶湖)へ通っていたのも懐かしい思い出です。
何回か事故をやらかしましたが、不幸中の幸いですべて物損で、修理を重ねて使いつづけられました。バンパーは前後とも2回ずつ交換しました(スピンして前後同時交換1回、追突してフロント1回、追突されてリア1回)。
最初の(3年目の)車検を受ける頃には走行距離は既に10万km近くに達していました。とりあえず車検を通したものの、その後徐々に愛着も薄れ、次に買う車の候補を模索し始めました。そこに突然「プリメーラ」が登場しました。すぐに、次に買う車はこれにしようと思いました。しかし、プリメーラの唯一の欠点がセダンでしかもトランクスルーがないということでした。ウィンドサーフィンをやっていたので、セールなど細長い荷物を積む必要があることからせめてトランクスルーは必要だったのです。ところが、さらにしばらくするとプリメーラ5ドアが登場するとの雑誌記事を見て、しばらく待つことにしました。1991年秋になってプリメーラ5ドアが発売されました。ほぼ同時期にマツダからMS-6という5ドア車も発売され、一時期どちらにしようか迷いましたが、初志貫徹でプリメーラにすることにしました。今振り返るとMS-6にしなくて本当に良かったと思います。
EN13パルサーは、1991年11月、15万km近くを走ったところで手放し、SAKの愛車はプリメーラ5ドアになりました。平均すると年間3万km以上走ったことになります。最後の1年間くらいはほとんど愛着なく乗っていたはずですが、家から引き取られていくパルサーの後ろ姿を見送った時は思わず目頭が熱くなりました。